議論は論破したもん勝ちではない

今日はもう本当に何も楽しくない一日だった。
朝から分析装置の機嫌が悪く、久しぶりに気合入れて実験しようと思ったのにその修理に手間取って朝はつぶれてしまい、挙句すごく不毛ないざこざに巻き込まれて何もできなかった一日だった。

いざこざの中身は簡単に言えば昨日書いたようなことで、今動いているルールをどう変更するかを話しあっている中で、変更後のルールはA案よりB案がいいんじゃないか、いやC案だろ、みたいなのを永遠に繰り返しているみたいな感じだ。

そういった言い合いというか意見を出し合うのは非常によいと僕は思っているんだが、いかんせんそのルールがあまりにもしょうもない。
実験の手を止めてまでするほどでもないし、案が出尽くしたんならもうあとは一度仮運用してみて理想と現実の差を埋めていくしかないように思うのだが、そうもいかないような雰囲気になってしまっている。

私もその案を一つ提示はしたのだが、別に僕の案が必ずしも正しいと思わない。でも議論の方向性がすごく複雑化してきたので、もっとシンプルに考えたほうがいいのではないか、もっと良くなるならそもそもの方法をモディファイするような案出しじゃなくて、根本的に変えてみたら?みたいな提案をしたつもりだ。

そもそも僕は別に自分の信念がある人間じゃないので、自分の意見が採用なんてされなくてもいいと楽観しているので、こういった考えが受け入れられなくてもいい。でも案外皆自分の意志を持ってて結構びっくりしている。
数学の計算のように答えが必ず決まっているものであれば間違えを指摘するために強くいくならまだいいとは思うが、最大公約数を決めるのに強い意志というのはどこまで必要なのだろうか。

一時期、ひろゆきが論破王みたいにもてはやされていた頃があったが、皆心の奥底にひろゆきが眠ってるんじゃないかと思わされる。
議論は論破するためにあるんじゃない。お互いのいいところを見つけて、自分の意見を削っていく。
提案のこの部分はいいよね、という譲り合いの精神をもつことが良い議論の一歩になるのじゃないだろうか。

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